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“知と美の連鎖”を妨げる著作権“過剰”強化
「マーケティング・ホライズン」 '07.1月号

 ネットワークの技術進化や新しいWebサービスモデルの開発により様々なコンテンツがネット上を飛び交いそれと伴に著作権をめぐる動きが活発化している。

例えば、動画投稿サイトYou Tube。このサイトには世界中のユーザーから自作コンテンツだけでなく、既存人気TV番組などが許諾を得ずにアップされ1日1億アクセスを超える超人気サイトになっている。日本のテレビ局は、著作権法違反として削除要請を繰り返しているがいたちごっこである。また、Yahooオークションなどでは、海外の違法業者が音楽や映画の海賊版を堂々と出品し販売するなど著作権侵害の動きが大きな問題になっている。

一方、グーグルは、Gメールやグーグルアースなどのコンテンツを無料提供したり、“世界中の知”を人々に届けようと著名米国図書館の著作権切れ書籍をデジタル化して無料公開し始めている。また、リナックスやウィキぺディアなどのユーザー参加型コンテンツは、“協働創造の楽しさ”や“更なる知の創造”を行うため公共財として自由に使用できる。

それに反して、米国の音楽コンテンツホルダーなどは、自社の収益源を守るためネット上の違法コピーや改ざん行為を厳しくチェックしている。また、ディズニーは収益拡大の仕組みつくりのため著作物保護強化に向けてワシントンロビー活動を行い“ミッキーマウス著作権法”(映画の著作権期間を75年から95年に改正)を制定させた。米国の場合、コンテンツ産業強化は国策であり、国を挙げて著作保護期間の延長と強化を掲げている。しかも、その政策を日本を始め各国政府に強く働きかけている。

この様に著作権をめぐり、「より強化しよう」という動きと「公共財としてより自由に活用しよう」という、相反する動きが世界規模で巻き起こっている。

著作物は、「思想と感情の“創作物”」であり、貴重な知的財産である。それ故、著作物の保護は創作者に報いるための名誉や経済的インセンティブを保証する意味でも大切である。また、コンテンツ産業全体の発展を促すためにも極めて重要である。しかし、過度な保護や規制は、利用者の利便性を損なうばかりでなくコンテンツの自由な流通や競争を妨げ、結果としてコンテンツ産業や関連するデジタル機器産業の発展を足かせになるのではないだろうか。例えば、今年、市場にカンバックしたナップスターは、当初、著作権法違反で市場から退場させられたが、

音楽配信のマーケットを切り開いた。そしてアップルのiTMSが引き継ぎ市場を大きくした。また、「複製権違反」か「私的にコンテンツを楽しむ権利」かで争われたソニーのベータマックス訴訟は、ソニー側の勝利により、その後の映画ビデオ産業を創造したのは記憶に新しい。

著作物は何かしらの知的ヒントを得て創作される場合が多い。人類の歴史と共に蓄積され文化を育んできた膨大な文書、音楽、絵画、都市デザインなどの著作物/コンテンツは、先人達の“知と美の創作物の連鎖”の賜物である。最近の例で見ても、著作権期間が過ぎた作品をヒントにして「グリム童話」から「白雪姫」、「マクベス」から「蜘蛛の巣城」など新たな創作が生み出された。また、著作権が切れた「星の王子様」は、世界中で出版され多くの人に感動を与えている。

米国の著作権法には、非営利や教育目的での複製や新たな創作性を与える利用を広く認める「フェアユース」という規定がある。逆に、日本では、著作権が厳格に解釈され、教育現場での報道記事や書籍のコピーなどが制限され “知の共有や連鎖”に不都合が生じている。MITのレッシグ教授などは、知的所有権や著作権を法的に回避し著作物の対価性を求めず公共財として活用するため、著作物とパブリックドメインの中間領域としてクリエイティブ・コモンズという概念を提唱している。

優れた創作物を支援する仕組みは、時代の変遷と共に変遷してきている。王族や貴族、そして大富豪が支援した時代もあり、現代は、一般大衆からの販売収益で成り立っている。今後は、消費者参加型コンテンツの急増と著作物のデジタル化により情報流通が更に活発化する。そう考えると既存のメディアの機能と役割が変質している現在、“紙や電波、映画”メディア上で営々と築いてきた著作権を利用したビジネスモデルは、もはや時代に合わなくなってきているのではないか。新しい産業の萌芽期には、

新しいが故に既存の法整備やルールに適合しないところがあるが、一定の市場規模が形成された段階でルールを決めれば良いのではないだろうか。

してはならないのは、人間の知的欲求や美意識を高度なデジタル管理技術や過剰な法整備で規制し、創作の連鎖を妨げる事である。著作物を有効活用し新しい市場を育成したり、また、新しい創作物の創造や世界の文化発展に寄与する意味でも未来志向の著作権の解釈と運用が望まれる。

(2007.1 /縄文コミュニケーション 福田博)